猟師は野蛮人?狩猟と動物愛護について
狩猟をやっていると、動物愛護者とお話することがあります。
猟師は何故動物の命を奪うのか。
動物愛護団体は何故動物の命を奪うことに対して怒るのか。
喧嘩をするつもりは全くないのですが
いつも同じような中身の議論なので
狩猟と動物愛護 についての自分の考えをまとめておこうと思います。
動物愛護団体の動物を愛する気持ちを否定するつもりは全くありません。
むしろ知識をつけて自分の主張をしっかりと持っている人に関しては尊敬すらしています。
ただ、浅はかな知識で猟師を批難したり
自分の考えを押し付けてくる一部の自称愛護者は勘弁して頂きたいと思っています。
どうして野生の熊や鹿を殺すの?彼らにだって生きる権利がある!
蚊やゴキブリ、魚や家畜にだって生きる権利はありますが彼らの生存権は守らないのですか?
むしろ家畜は食べられる為だけに産まれて閉じ込められて、殺される。
そして手を汚さずお金を払っただけの人達に食べられて、残される。
そちらのほうが残酷だと私は思います。
蚊なんて血を吸うだけなのに簡単に殺されてします。
ゴキブリなんて気持ち悪いってだけですよね。
熊は希少生物のため殺したら絶滅してしまう!
環境省と狩猟者は野生動物の頭数を適切に報告、管理して生態系のバランスをとっています。減らすだけが目的ではありません。
近年はハンターの減少により熊が増えたという意見もあるそうです。
生き物を殺すのに抵抗がないなんて野蛮人!
YouTuberのATACHunterさんによる「殺傷の心理学」という動画での解説をみてかなり納得しました。
その内容は、
人間との種別が違うほど抵抗感を感じない。
昆虫類→魚類→両生類→鳥類→哺乳瓶(鹿や熊)→霊長類→同族類
人間との種別が近いほど抵抗感を感じる人が多い
とのことでした。
この抵抗感の線引きは人それぞれの経験や価値観によって大きく変わります。
そのため、その線引きを他人に強要することはナンセンスと思います。
つまりほとんど動物愛護団体の意見は、
自分にとっての一線を越えられて抵抗感を感じて苦しいんでいる。お前のせいだ!
という意見だと言えるでしょう。
私たちが共有できる線引き、
法律による線引き
これに従う他はありません。
スーパーに行けばお肉が売っているのにどうしてわざわざ野生動物を殺してして べるの?
この意見はもはや貴族身分の考えです。
言い換えると
スーパーに行けば誰かが殺した肉がいくらでも手に入るのにどうして自ら手を汚すのか?
ということです。
家畜動物を軽視した、動物愛護とはかけ離れた考えですね。
私はビーガンだから。
農家さんが野菜を作る為には基本的に害獣を駆除していますし、害虫も駆除しています。
それでも令和元年には全国で158億円の害獣被害があるそうです。
その被害額を愛護団体が負担してくれるのでしょうか?
また、昨今はコロナワクチンで話題ですが、
ワクチンや薬を作る際にも動物実験が行われています。
動物愛護団体はその恩恵を一切受けずに
死を受け入れる覚悟があるのでしょうか。。
まとめ
近頃の都会の子供は魚が開いて泳いでると思ってるなんて話もありますが
釣り人は誰よりも魚が大好きな人ばかりです。
同じように、狩猟者は誰よりも動物の事を考えている本当の愛護者だと私は考えています。
私も最初に鹿を殺めたときは罪悪感に苛まれました。
しかし普段食べている肉も同じように動物を殺した肉です。
自分の手を汚してはじめて
本当の命を頂くことの有難みがわかると思います。
以上 僕の動物愛護に関する考えです。
残酷な世界ですが
自分たちが今生きているのは動物達の犠牲のおかげだと向き合って生きていこうと思います。
最後まで見ていただきありがとうございました。
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